趣味に生きるミニマリストの日々

ミニマリストの末路?気にせずお好きにおやりなさい!

 
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モノにあふれた生活を送っていたが、30代後半に一念発起して断捨離本やミニマスト本の影響も受けつつ、大規模な断捨離を決行。俗に言うミニマリストになる。

ミニマリストというとどうも特殊な人だと思われがちである。

その「末路」に興味がある人も多いようで、「ミニマリスト」と検索すると「末路」というワードが出てくる。

「末路」とはいかにも悲惨な最後を遂げたようなワードである。

果たして、実際にはどうなのか?

結論から言うと、「末路」などというものは気にする必要はない。

確かに辛い経験をしたミニマリストもいただろうが、それはあくまで過程である

その理由を述べていきたい。



ミニマリストの末路とはそもそも何を指すのか?

ミニマリストの末路とは?

その検索意図を考えると、「ミニマリストなどという世の中のはみ出し者ないし変人はきっと悲惨な結末をむかえたに違いない!」

というアンチ・ミニマリスト的な悪意を感じてしまう。(偏見が過ぎるか)

あるいはミニマリストに傾倒していて大丈夫なのだろうかという不安からかもしれない。

しかし、実際に「ミニマリスト 末路」で検索してみるとちょっと失敗したといだけのことで多くの人はミニマリストになって良かったと思っているようである。

ミニマリストも失敗して成長する

ミニマリストも人間である。

始めた頃は誰もが初心者であり、憧れのミニマリストの真似をして捨てまくったり、傾倒し過ぎで友達や家族から引かれたり、SNSなどで発信してアンチから叩かれたりなどの失敗?をおかすことがある。

何が失敗で何が成功なのかは本人の感性で変わってくるが、失敗だと思った時に人は修正出来る。

失敗を糧に成長することが出来る

「あれは捨てなきゃ良かったな」

「人には人の価値観があるからわかってもらえないこともあるよな」

などなどという気付きを得ることは末路ではなく成長過程に過ぎない

ミニマリストも常に変化する



人生の中で一貫して同じ考えを持っている人間は極めて稀である。

ミニマリストにも色々な人間がいるが、自身のミニマリスト観も時の流れとともに変わってくるものである。

はじめは猿真似だとしても、

「自分はここまでしなくて良いかな」

「生活必需品はミニマルでも趣味はマキシマムのが心地良いかもな」

「炊飯器なんて要らないとか思ってたけど1合半くらいのものならあれば便利かも」

といったように具合で考え方が変わってくる。

それは生涯続いていく類のものであり、死ぬ時までどうなるかはわからないのである。

末路がわかるとしたらその時だろう。

まとめ

ミニマリストの末路は最後の最後までわからない。

我々ミニマリストは道半ばである。

失敗は成功の母であるし、そう考えるとそもそも失敗などないのかもしれない。

ミニマリストという生き方を一生をかけて成長、変化、確立していけばいい

末路など気にせずお好きにやりなさい



 

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